βエンドルフィン≒幸福










「βエンドルフィン、って知ってます?」

スプーンいっぱいに乗せたチャーハンを大きな口に入れるその姿を見て、思わず聞いてしまった。
質問に答えようとむぐむぐと懸命に咀嚼し、ごっくんと音を立てて飲み込む。

「んあ?何それ?リラックスしてるときに出るやつ?」
「それはアルファ波です」
「じゃあ何」
「脳内麻薬の一種です。ランナーズハイが良い例ですね」
「ふーん。で、それが?」

興味無さそうに再びまたスプーンいっぱいにチャーハンを掬う。そのチャーハンの上には
自分の皿には乗っていない、白い物体が大量に乗っている。

「おじさんはどうしてマヨネーズが好きなんですか?」
「?何でその話になんの?」
「関係あるんです、答えてください」
「・・・なんとなく、好きだから。旨いじゃん、マヨ」
「そうですか。やっと分かりました」
「・・・バニーちゃん、おじさん何がなんだかさっぱり分からないんだけど」
「なんでおじさんがなんでもかんでもマヨをかけるか僕には理解出来なかったんですよ。
それで調べてみたら面白いことが分かったので確認してみたんです」

常にこの家にはマヨネーズが2本存在する。現在使っているものと、ストック用と。
そして家に訪れる度にものすごいスピードで減っているのだ。しかもこの家に住んでいる
のはたった一人。来客である僕が来ても、そのマヨネーズに手を出すことはほとんどない。
そしてタチの悪いことに、そのマヨ消費者は三十路。健康診断で色々問題が出始める
年頃だというのに、カロリーハーフやコレステロールカットのものではなく、通常の
マヨネーズ。本人曰く、ハーフとかは味が落ちるから、だそうだ。年齢的にも色々と
節制しなければならない年なのに、本人はどこ吹く風、まるで自分がまだ20代の
つもりなのか気にするそぶりもない。
代謝も落ちているし、トレーニングもサボり気味。せめてマヨネーズぐらいは抑え
させないと、とどれだけ注意してもまったく聞く耳持たず。
そんな中、何気なく読んだ新聞にこんなことが書いてあった。



「おじさん、幸せになりたいんじゃないですか?」



「は?」

大量の油で炒められパラパラになっているはずのお米が、たっぷりのマヨネーズのせいで
ボトボトと固まりになってこぼれた。

「ごめん、バニーちゃん、なんでそんな結論に至ったの?」

おじさんが理解できないのも無理もない。マヨネーズを食べて幸せになれるのならば
人間簡単なものだ。僕もその記事を読んだ率直な感想はそれだった。
だが、人間の脳は面白い。
βエンドルフェィンは脳内で機能する神経伝達物質だ。簡単に言うと鎮痛作用のある
脳内麻薬。
その効果はモルヒネの6・5倍と言われ、脳を活性化させたり、精神的ストレスの解消にも
なるという。先に挙げたようにランナーズハイを起こしたり、セックスの時に出たりする。
だが、このエンドルフィン、別のものでも分泌される。それが高カロリーな食事、油分の
多いものだったり、甘いものを摂取することで分泌されるのだ。
よくダイエットをしてる人が脂っこいものや甘いものを止められないのはこのエンドルフィンが
関わっているとも言われる。それまで与えられていたエンドルフィンが切れて、禁断症状を
起こすのだ。そうしてまた、それらに手を出してしまう。
多分、おじさんもそうなんだろう。最初は確かに味が好きだったのかもしれない。それが
しばらく続いて、食事の度にエンドルフィンが出る。それが当たり前になって、今では
マヨをかけずにはいられなくなったんじゃないのだろうか。
脳が安価に手には入る幸福感を求めて。

説明を終えるまで、おじさんは口を挟むことなく、淡々とチャーハンを口に運んでいった。
この人はちゃんと人の話を理解しているのだろうか?
だが、その心配は杞憂に終わった。

「要は、俺は幸せになりたいからマヨで済ませてるってこと?」
「そうです」
「ふーん・・・幸福かぁ・・・」

そう言っておじさんはスプーンの先で米粒を遊ぶとふと、遠くを見てぼつり、と呟いた。

「案外そうかも、な」

いつものチャラチャラした感じがふっと消え、少しだけ声が低くなった。

「嫁さんが亡くなって、娘にヒーローであることを隠すために一緒に暮らせなくなって
その大事な娘は最近反抗期迎えたっぽくて、せめてヒーローとしてもっと頑張ろうと
思ってても若くて人気のあるヒーローがどんどん活躍して、ベテランって言われてても
結局俺は正義の破壊屋なんて呼ばれて今シーズンポイントゼロなダメヒーローで
あげく前の会社は潰れて新しい職場では新人の引き立て役にさせられて、上司には
小言を言われっぱなしで、その新人にも嫌み言われっぱなしで、あげくそいつにケツ掘られて・・・」

ほんの一瞬、小さなため息を吐いて、また言葉を続ける。

「そんな俺がマヨネーズ一つで幸せになれるんだったらいいじゃねぇか。
誰にも迷惑掛けてるわけじゃないんだし」

なんてな、と付け足すが、その声は今にも消え入りそうなほど小さな声で、その言葉が
信じられなかった。

「さっさと食えよ!チャーハン冷めると不味いんだからな」

いつも通りの明るい声。だが、視線を合わせることなく、俯いたままそそくさと残りの
チャーハンを口に運んでいく。

「おじさん・・・」
「んー」
「僕があなたを幸せにします」

一瞬の間があって、ガシャンとスプーンがさらに落ちる音がした。

「嘘だろ・・・」
「本気です。これ以上マヨネーズを摂取してメタボになられても困るんで」
「そういう意味かよ・・・」
「そういう意味とは?」
「あのなー、そういう幸せにしますとかいうプロポーズっぽい言葉は誰でも簡単に言うなっての!」
「プロポーズのつもりですが?」
「なお悪いっつーの!」

盛大におじさんが溜息を吐く。顔を手で覆って何かブツブツ言っているが無視する。

「βエンドルフィンはセックスでも分泌されますが、恋をしても分泌されます。
既にセックスはこなしてますが、セックスでのβエンドルフィンではまだマヨネーズの
誘惑に負けてしまいます。ならば、おじさんが僕に恋をして、なおかつセックスすれば
もうマヨネーズに頼らなくても十分幸福感を得られると思います。幸い互いに独り身で
恋人は居ません。男性同士というのもセックスの点においてはクリアしてますし、
寂しがりの構いたがりのおじさんに僕はぴったしの相手だと思うんですが。だからもう
あとはおじさんが僕のこと好きになればいいんです」
「だーもー!βエンドルフィンだのセックスだの連呼しやがって!」

顔を覆っていた手で帽子を掴むと床に叩きつけた。あれだけお気に入りだと言ってる
帽子なのに、と拾って埃を軽く叩く。

「だいたい恋だの幸福だのそんなもん科学でいくら説明されたって自分の気持ちを
どうこう出来るもんじゃねーだろ!?
事故みたいなもんだろ恋なんて!それをお前!好きになれって言われたって出来ねぇっての!」
「そうですね、事故みたいなものですね」
「だろ?無理だって」
「じゃあ今から事故ってもらいます」
「なんで!?どうやって!?」

手にした帽子をおじさんの頭にそっと被せると、そのまま肩に手をおいてゆっくりと
押し倒した。
反論されるより先に唇を塞ぐ。もぐもぐと何かを言おうとしているが聞く必要はない。

「今からセックスします」
「そんなもんいつでもしてんじゃねーかよ!」
「いえ、いつもちゃんと愛情もってセックスしてるのに、鈍いおじさんにはまったく
伝わってなかったみたいですね。
なので、今日はいつも以上に愛を持ってたっぷりと可愛がってあげますよ」

安心させるように微笑んであげたのに、おじさんの顔が恐怖で目尻に涙を浮かべている。
全く持って失礼極まりないおじさんだ。

「バニーちゃん・・・俺のこと、好き・・・だったの・・・?」

相変わらず鈍感すぎるおじさんにイラっとしてマヨネーズの油分で滑る唇に少しだけ
噛みついた。

「このマヨネーズでべたべたした唇以外は好きですよ、愛してます」
「・・・マジで・・・?」
「そもそも僕みたいな性格の人間が例え性欲処理目的であったとしてもおじさんみたいな
人選ぶわけないじゃないですか」
「それ褒めてんの貶してんの?」
「現時点で欲情してるんで褒めてるんじゃないですか?」
「そーですね・・・」
「もうマヨネーズ見るだけで胸焼けするくらいに幸せにしてあげますよ」
「それはそれで俺の楽しみが無くなるからやめて・・・」
「なんならマヨプレイでもしてあげましょうか?」
「それこそトラウマになるから止めてくださいお願いします」

「おじさんは大人しく僕に目一杯愛されて、僕に恋してセックスして幸せになればいいんですよ」

諦めたように小さくYesと呟いたから、こちらまでマヨネーズでベタつく唇を首筋に滑らせる。



世界が変わってしまいそうなほどの愛情に、この家のマヨネーズが2本から1本に
なるのにそう時間は掛からないだろう。










2011.06.14 しゅう

雑誌みてたら甘いものや油ものやめられない原因がそれだと書いてあってとりあえず正座してみました。
そんで虎徹のマヨ好きがそれだったら面白いなって。
ちょっとネガティブな虎徹と厨二的自信家な兎が書けたので満足です。