週末にキスをしようぜ










寝坊した。と言っても普段の起床時間から20分程遅れた程度だが。
原因は分かってる。昨日は久々の一日密着取材。前回のように問題は起きなかったが
逆に事件が起きてくれた方が気が楽なくらい徹底して密着されていたので精神的に
疲れてるからだ。
しかし、どんなに疲れていても誰にでも平等にやってくる。今日もまたヒーローとしての
一日が始まるのだ。
・・・だが、ヒーローと言っても一般企業の社員。このロスした20分をフォローしないと
遅刻になる。ならば普段から抜きがちな朝食を無視するだけだ。
シャワーも手短に、出勤の支度をする。今日は取材がないから念入りに身だしなみを
整える必要もない。バイクの速度をいつもより少し速めれば、普段の出勤時間とさほど
変わらない時間に到着した。

「よぅ、おはよーさん!」

後ろから腰を叩かれて、半歩足が前に出た。振り返ればやっかいな相棒である先輩が
爛漫な笑顔でこちらを見ている。

「おはようございます」
「バニーちゃん、元気ねぇなぁ?朝飯ちゃんと食ってきたか?」

自分たちのオフィスまでの一本路。並んで歩くから無視することも出来ない。

「バーナビーです。それに余計なお世話ですよ」
「その様子じゃ食ってないって感じだな」

相変わらずのお節介。うんざりする。

「はにーはん」
「だから、僕はバーナb・・・」

顎を捕らえられてキスされた。・・・だけではない。一瞬舌が入ったかと思うとするりと
引き抜いて、僕の咥内に甘いものだけを残していった。

「飴・・・?」
「そ、お前に手渡ししても捨てられっから直接口に突っ込んでやったんだよ」
「余計なお節介です」

レモンフレーバーの甘酸っぱさが口の中いっぱいに広がって、爽やかな香りがまだ
寝ぼけていた脳を起こしてくれるのが分かる。
だが、普段から甘いものを摂取していない自分にとってこの甘さは強烈過ぎた。

「おじさん」
「ん?」

振り返ったその顎を捕らえ、今度はこちらからキスを仕掛ける。先ほど同様一瞬舌を
潜り込ませ、飴を置いていく。おまけにその唇を甘くなった舌で撫でてやった。

「僕には甘すぎるんで結構です」
「なんだよ、人の好意を・・・可愛くねぇなぁ」

そういって口の中の飴をガリガリ噛み始めたおじさんの行動の方がよっぽど可愛いと
思った自分は相当重症だろう。

「そんなことより、今日書類の提出ですよ」
「おぉ、分かってらぁ」
「そういってこの前定時直前まで忘れてましたよね」

誤魔化す様に笑うおじさんの息は甘酸っぱい匂いがして、またキスしたくなってきた。





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「バニーちゃん、ちょっといいか?」

始業してからまだ1時間。さっそく提出予定の書類に格闘しているおじさんに呼ばれ
そちらに顔を向ける。

「この件なんだけどさー」

そういってA4サイズのバインダーを目一杯広げて机の境界線のところに掲げてきた。

「何ですか?」

そういって挟まれている資料に視線を移せば、そこには大きく『KISS ME』の文字。

「・・・っな!?」

驚いておじさんの方を見れば、悪戯っぽく声を殺して笑っている。このバインダーの
向こうには上司の女性が一人、監視するように座っているのに。

「ここんとこがわかんなくてさー」

二人の横顔をバインダーが隠している。おじさんが試すような視線を投げかけてきて
それが悔しくて、思わず顔を近づけた。

「これはこのページの資料を見てください」

適当なことを答えて、一瞬唇に触れる。音を立てない様に、そっと、柔らかく軽く触れた。
目の前の上司しかいないとは言え、胸がドキドキしてしまう。

「そっか、サンキュー」

そう言うと、今度はおじさんからキスされた。自分がしたのよりもうちょっと強めの
危うく音がするんじゃないかというギリギリのキス。こちらの心境などまるで知る由も
ないといった感じの悪ガキみたいな顔をして笑っていたから、こっちは赤くなる顔を
誤魔化すために俯いて作業せざる終えなかった。

それからもおじさんは何かにつけてキスしてきた。
バインダー同様に書類を片手に、まるでトランプのように扇状に広げてキスしてきたり
上司が席を立ったときにキスしてきたり、トイレのすれ違い際にさりげなくキスしてきたり。
その度に悪戯っぽくこちらを挑発するように笑い掛けてくる。何なんだ、一体?
考えても仕方ないから、直接聞いてみることにした。

「おじさん、この書類にサインしておいて下さい」
「りょーかい」

そう言ってさりげなく手渡した書類のポストイットの存在におじさんが気付いたようだ。

『何企んでるんですか?』

「オッケー、バニーちゃん。サインしといた」
「バーナビーです」
「はいはい」

自分が貼ったものとは別の色のポストイット。少し癖のある文字が並んでいる。

『ひ・み・つ』

可愛くない。これを書いたのがおっさんだと分かると余計に可愛くない。もう一枚別の
書類を手に、ポストイットを張り付ける。

「これ、間違ってましたよ」
「おぉ、サンキュー」

それからはポストイットのやりとりだ。

『甘えたいんなら素直にそう言ったらどうですか?』
『お前が甘えたいんじゃないの?寂しがり屋のウサギさん』
『間違いなく全ての行動はあなたが仕掛けてきてるんですけど?』
『そうだっけ?』

書類が互いのディスクを行き来し、その度に新しいポストイットが張り付けられる。
埒があかない。こうなったら直球勝負だ。

『溜まってるんですか?』

書類を手に、んー、とおじさんは少しだけ悩んで、また筆を走らせた。

『SEXしたい』

その書面を見た瞬間、思わず吹き出しそうになった。しかし、上司の前でそんなことを
してしまえば疑われる。咄嗟に堪えたものの顔が赤くなるのを止められない。

「バニーちゃん、これも」

追加で渡された資料にもまた、ポストイットが張り付けられている。

『なんてな(笑)』

横を見れば、ニヤニヤとしてやったり顔をしているおじさんを殴らなかった自分が
心底偉いと思う。
その時、昼の休憩を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「お、バニーちゃん昼飯食いに行こうぜ!」
「生憎、役員の方とのパワーランチを予定しているので」
「あっそ、ならいいや」

廊下を二人並んで歩いて、別々に分かれた。
その数分後、自分の胸ポケットにしまっていた携帯が震える。

Date:XX/XX 12:06
From:鏑木・T・虎徹
Sub :(non title)
本文:昼飯の1時間ありゃ1発ぐらいできると思ったんだけどなー。

冷静に携帯を閉じて胸ポケットにしまったつもりだったが、動揺しすぎて曲がり角で
壁に激突してしまった。
何なんだあのおじさんは!?
思わず振り返ったが、もうその後ろ姿は見つけることが出来なかった。





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気持ちを切り替えて打ち合わせに向かうけれども、思考の半分を今日のおじさんの
不可解な行動に奪われてしまった。
元々人をからかうような行動はよく取るが、今日みたいにずっとそれを繰り返すような
ことはなかった。
試されてる?何を?
一人でぐるぐる考え込んでも答えが出るわけでもなく、かといってこのまま仕掛けられて
いるのも性に合わない。
ならば、こちらも行動に移すまでだ。

席に戻ったのは午後の始業開始5分前。おかえりー、と声を掛けられ、どうも、と返す。
午後のタスクを確認して準備したところで始業のチャイムがなる。
黙々と作業をこなしていると、午前中同様おじさんが資料のチェックを要求してきた。
相変わらず資料の束のトップには白紙に『KISS ME』の文字。

「この書類なら、こっちの資料を参考にして下さい」

そういってその文字を無視して、近くにあったバインダーを渡す。午前とは違う態度に
おじさんも何か堪付いた。だが、上司の女性がいる手前、僕の無視を問いただすことは
できない。そんなやりとりが数回。断る度におじさんの唇が尖っていくのが分かったけど
あえてそれを無視する。
全てのタスクが終了した時点で、15時20分。予定より早く切り上げられたので、このまま
ジムに向かうことにした。

「ジム向かいますけど、おじさんどうします?」
「いや、俺はこの仕事片してからいくよ」

いつもなら、仕事放り出して一緒にジムに出るのに。尖りっぱなしの唇が今のおじさんの
心境を表している。
不可解な行動が続くが、いちいち気にとめていたらこっちの負けだ。
溜息一つ、さっさとジムに向かうことにした。

黙々とウエイトトレーニングしているとおじさんが遅れてやってくる。一瞬目が合う
もののアントニオ先輩の元へ行ってしまう。どうやら本気でご機嫌が悪いらしい。
トレーニングをこなしていく度に時間が過ぎ、一人、また一人と人が減っていく。
普段ならすぐに根を上げてサボり、切り上げようとするおじさんが、なんだかんだで
サボりつつも残っている。
最後のランニングが終わる頃にはジムには二人っきりになってしまった。
ランニングマシーンに自分が、隣の椅子におじさんが座っている。

「おじさん、何なんですか、今日?」
「何が?」
「今日一日ずっとキスばっかり・・・」

答えることなく立ち上がって背伸びをすると、さっさとジムを出てしまう。残り10分
あるが仕方なくクールダウンモードに切り替えて、身体を落ち着かせていく。
完全に止まり、近くに置いてあったタオルを手に、ジムを後にする。ロッカーを覗いたが
姿は見えない。だが、シャワールームから水音が聞こえる。
自分のロッカーからボディソープ類を取り出して、シャワールームに向かう。
案の定、熱いシャワーのせいでシャワールームは湯気で真っ白になっていた。

「何が気に食わないんですか?」

頭から熱いシャワーを浴びて火照った背中に問いかける。びしょ濡れになった前髪を
かきあげてこっちに振り返ると、相変わらずの尖った唇。

「それを俺に言わせるわけ?」
「分からないから聞いてるんじゃないですか」

呆れて隣のブースに入ろうとした瞬間に腕を引かれ、おじさんのブースに引きずり込まれた。
突然降り注いだ熱い雨の中で強引にキスされる。開いた唇に誘い込まれるように舌を差し
出せば逃げられ、行き場を失った舌で唇を舐めればまたくっつく。そうやってずぶ濡れに
なりながら微妙な距離を保ったキスを繰り返していると、突然シャワーが止んだ。

「自分で言わなきゃダメ?」
「そもそも不可解な行動起こしてるのはあなたでしょ?」

ふー、と今度は向こうが溜息をついて、罰が悪そうに視線を落とした。

「・・・妬いてんだよ・・・」
「・・・・・・は?」

ぼそりと吐き出された言葉に一瞬理解出来なかった。

「妬くって・・・何を?」
「あぁ?・・・・・・・・・ヤキモチに決まってんだろ・・・」

そう言うと今度こそ気まずくなったのか背を向けて、再びコックを捻り、シャワーを
浴び始めた。

「何で・・・ヤキモチ妬く必要があるんですか?」
「・・・んー・・・まぁ、昨日の密着取材かな」
「それが、どうして・・・?」
「いや・・・なんとなく・・・」

昨日一日の様子を思い返してみる。密着取材は自分がメインで、常にプロデューサーや
カメラが傍についていた。一応、パートナーということでワイルドタイガーとの
ツーショットも撮られたが、用意された台詞で会話をする程度だった。
普段通りに、と言われても自分達の関係を暴露してしまう訳にもいかず、表向きの笑顔で
仲の良さをアピールしていた。
おかげで普段なら当たり前の様にするキスやスキンシップすら阻まれてしまったのだ。
どうやら、原因はそれらしい。
だから今日は何かにつけてキスを強請り、応えられないと不貞腐れてたわけか。
一回りも大人の人間がする幼くて可愛らしい嫉妬に思わず笑ってしまいそうになる。

「すみませんね、寂しい想いをさせて」
「うるせー、気付くの遅ぇんだよ」

多分今もあの唇を尖らせた表情で不貞腐れてるんだろう。笑う代わりに抱きしめて
火照った項にキスをする。

「じゃあ、代わりに今晩うちに・・・」
「それは無理だな!」
「・・・は?」

それまでの甘い雰囲気は一変し、ぴしゃりと拒否された。

「明日朝一で取材だろ?無理」
「じゃあ、明日は・・・」
「明日はお前、社長と夜一緒に飯食うって言ってたじゃねぇか。ついでに俺はアントニオと飲む」
「早めに切り上げるので、その後うちに・・・」
「絶対次の日休む羽目になりそうだから、週末まで我慢だな」

先ほどまでの不貞腐れた表情が消え、またしても悪戯っぽい笑みに変わっている。

「じゃあ昼間のメールは何なんですか!」
「あーん?あれはワザと煽っただけに決まってんだろ」

ニシシ、と笑うその表情が憎たらしい。

「正直、週末までとか無理です」
「だから俺もキスで我慢してんだろー?あと三日じゃねーか。大人しく我慢しなさい」
「舌も入れさせてくれないようなキスで我慢しろと?」
「舌入れさせたら絶対お前押し倒すだろ?無理!」
「じゃあ今ここで襲います犯します」
「いけませんダメです」

振り返ったおじさんの唇が、自分のものと重なる。予告通り、触れたらすぐに離れて
いってしまった。

「週末になったらいくらでもしてやるから。それまでお預けな」

その笑顔が本当に憎たらしくて、僕はシャワーのコックをHOTからCOLDに切り替えてやった。










2011.06.03 しゅう

やきもち焼くおじさんと、所構わずちゅっちゅしてる二人が書きたかったんです。