クロックムッシュ
初めて一緒に向かえた朝、先に目が覚めた俺はバニーの顔立ちの美しさにホレボレと
眺めてしまっていた。そして、長い睫がバサバサと何度か震えると、ゆっくりと翡翠色の
瞳がこちらを捉える。おはよう、と言うより先にバニーはバサッと音を立てこちらに
背を向けると、シーツの繭にくるまってしまった。
「ば、バニー?」
「うるっさい!こっち見ないでくださいよ!!」
うるさいっておはようって言っただけだぞ?
でもバニーはシーツにくるまったまま、よく見れば微かに震えている。恐る恐るその
繭に触れれば、ビクリと大きく揺れた。
「な、なぁバニー?バニー!」
呼びかけても答えてくれない。昨晩、あんなに名前を呼んでくれて触れてくれたのに、
一晩経ったらこの拒絶っぷり。酷いじゃないか、あんなに愛し合ったのに。
小さく肩を落として、ベッドから降りる。
「朝飯作っとくし、机の上に鍵置いとくから・・・。先に出てるぜ」
返事はない。ただの屍のようだ・・・ってこれ前にも言ったか?
一晩経って気持ちが冷めるってことはよくある話だが、いざ自分がそんな態度取られると
結構ショックだ。溜息一つ吐いて、俺は浴室へと向かった。
二度目のセックスまで持ち込むのに半月掛かった。なんとか漕ぎ着けたセックスは脳が
溶けるんじゃないかってくらいに甘ったるいセックスで、もういらないって言うくらいの
愛情を注がれた。・・・つもりでいた。
翌朝バニーより先に目が覚めて、その穏やかな寝顔に触れようと思って、寸前で手を
止める。前回の記憶が甦った。本音を言うと、バニーと甘い朝を迎えてみたい。昨日の
夜を引きずったような、気だるくて、甘ったるくて、何がおかしいのかもわかんない
けどなんだか笑っちまうような朝を迎えてみたかった。
前回のあの様子じゃ恋人らしい朝を迎えるのは当分無理だな。諦めて、足音を立て
ないよう、そっとベッドを後にしシャワーを浴びるために浴室へと向かった。
身につけていたのは下着一枚だったから、さっさと脱いで浴室に入る。シャワーコックを
捻れば、冷たい水が一気に降り注いだ。心身共に一気に目が覚め、やがて温かくなって
いくお湯に、気持ちも解れていく。
バニー・・・苦手なんだろうな、人と触れ合ったりすること
二十年、復讐のために暗く冷たい闇の世界で生きてきたんだ。そんな中で好きな人間が
出来たとしても、自ら動くことは出来ないんだろう。それはこの前の筆下ろしの時に
わかった。だから、俺が思ってるような恋人同士の朝なんて経験したことないんだろう。
あんな風に拒絶するのもしかたないよな。そんな風に自分の中で結論付けていると、
どこからかドタバタと足音が聞こえる。
お、バニー、目が覚めたか?
と思ったと同時に浴室のドアが勢いよく開かれる。
「虎徹さん!!」
「!?お、おう」
寝癖ついたままの頭で、まるで事件でも起きたのかというくらいにバニーは慌て、目が
見開いていた。こちらもその勢いに押されて、思わず身構えてしまう。よかった、もし
今シャンプーしてたら絶対目に泡入ったよな。頭の片隅でそんな冷静なことを考えて
いると、バニーは安心したようにその場にへたりこんだ。何?何どうしたの?
「ば、バニー?どうした?」
「何でもないです!」
キッとこちらを睨みつけるとまたさっきと同様にドタバタと足音を鳴らして出ていって
しまった。あのー、バニーちゃん、今朝早いんだからご近所さんに迷惑になるよ、と
心の中で注意して、俺はどうすることも出来ずにその背を見送った。
浴槽で一人、ぽつんとシャワーを浴びながら、今日も失敗してしまった、と肩を落として。
三度目のセックスは、二度目とは違ってそんなに日をあけることなく出来た。バニーが
俺に触れるのも大分慣れてきたし、拙いながらも自分の気持ちに正直に誘うことが出来る
ようになった。触れてくる手も大胆になってきて、適度な羞恥心を残しつつ、素直に
快楽に従ってくれる。よしよし、ちゃんと成長してるな。
だが、問題は朝だ。
毎度毎度あんな態度を取られると、さすがに自分たちの関係を疑ってしまう。俺たち
ちゃんと恋人だよな?わかってるつもりだが、あんな態度を取られるとどうしても
疑ってしまいたくなる。本人に聞いてみようかと思ったが、逆ギレならまだしも
エスケープされてしまったら困るな。そう思うと、今朝もそっとベッドを出ることにした。
別に寝起きで機嫌が悪いなら仕方ない。それでもあんな素敵な夜を過ごせたんだ。朝は
笑って一緒に朝食を食べたい。
リビングのソファーの背もたれに掛かっているハーフパンツとタンクトップを身につけ、
項にかかる髪をゴムでひとまとめにした。キッチンに移動して、冷蔵庫の側面に掛かって
いるエプロンを身につける。
さて、と――
朝飯ならパントーストして、目玉焼きでもいいんだが、いかんせん昨晩の営みで胃が
空腹を訴えているから、もうちょっとしっかりしたものが食いたい。冷蔵庫をあけて
見渡せば、この前バニーが持ってきたチーズが目に入った。チェダーチーズだ。他に
何か・・・と視線を下げれば、アントンからつまみに貰ったボンレスハム。
チーズ、ハム、パン・・・そんでしっかりした朝食。
クロックムッシュ、だな。決まりだ。
母ちゃんは未だに俺がチャーハンばっかりしか作ってないと思ってるが、そんなことない。
やもめが生きていくにはそこそこ料理するし、年いった男が母親にそんなこといちいち
報告することもない。レシピは決して多くはないが、クロックムッシュは割と簡単だし、
これといったレシピもないからよく作っていた。
そういえば昔なんかで、男が朝目覚めて未だ夢の中の恋人の為にカルボナーラを作って、
目覚めた恋人と共に二人でそれをベッドの中で食べるというシチュエーションを何かで
見聞きした覚えがあった。キザったらしい、それがそのときの正直な感想だが、もし
男が朝一で船出して魚捕ってきてペカレートってのも逆に重いよな、色々と、なんて
思うのは俺だけか?
かといってカルボナーラは寝起きの悪いバニーちゃん向けじゃない。バニーちゃんが
いつ起きるか分からないんで、冷めたら不味いし、パスタは伸びやすいからカルボナーラは
やめておいた方がいい。そう考えると、パンでハムとチーズを挟みじっくりと焼き上げる
クロックムッシュなら多少時間が経っても温かいまま美味しく食べれるだろう。
冷蔵庫からハムとチーズ、それからレタスを取り出し、キッチンに包丁とまな板を置く。
ボールに水を張ってちぎったレタスを洗ってそのまま水に付けて置けばいい。先に
包丁でチーズを削る。普段はスライスチーズを使ってるが、これはつまみ用でバニーが
固まりで買ってきたものだから、溶けやすいように削る必要があった。二人分、ちょっと
多めに削って、今度はハムを切る。肉切り包丁なんて持ってないから削り落とすように
薄く何枚も切り落とした。
まな板に、チーズとハムの山が二つ。削りすぎたか?
でもいい。あいつ位の若造なら朝から多少重い朝食を食っても胃もたれする事もないだろう。
薄目の食パンを四枚、うち二枚にマヨネーズとマスタードを塗り、ハムとチーズを挟んだ
ものを二組作った。
大きくて適度に深さのある皿を取りだし、卵を割り入れ、バニー用に買っておいた牛乳を
注ぐ。隠し味にちょっとだけパルメザンチーズも入れる。一瞬カロリーのことを考えたが
無視だ、無視。昨日あんだけ運動したんだ。ちょっとくらいオーバーしたっていいだろう。
混ぜ合わせて、先ほど合わせた食パンを一組浸した。フライパンを取り出し、冷蔵庫から
バターを取り出す。中にたっぷり挟んだチーズとハムがこぼれないようにそっと裏返して
両面たっぷり卵液に浸した。フライパンを火にかけ、一欠けバターを落とし、じわじわと
溶けるのを待つ。溶けたバターがぶくぶくと泡立つのを確認してから、卵液を吸って
柔らなくなった食パンをそっとフライパンに乗せる。じゅっといい音がして、食パンの
周りがジクジクと焼けていく。
フレンチトースト風のクロックムッシュはじっくりと弱火で焼くのがコツだ。挟まれた
中のチーズが溶け出すくらいにじっくりと時間をかけて二組焼き上げる頃にはバニーも
目を覚ますだろう。今日そこ笑っておはようと言えればいい。
焦げないようにぼんやりとフライパンを見つめながら、今上の寝室で眠っている青年の
ことを想う。
バニーが気を許す人と一緒に向かえた朝は、四歳で両親を失ってからどれだけあったん
だろうか。悪夢を見ずに、笑って朝の挨拶をして、今日の予定を話しながら朝食を食べたことが。
そんなバニーに、いくら恋人になって一度や二度寝たからって、今まで経験がないのに
そんな風に朝を過ごせと言う方が無理だ。だから、こっちが待ってやるしかない。一足先に
目を覚まして、美味い朝食を用意してやる。どんなにバニーが機嫌が悪かろうが、笑顔で
おはようって言ってやればいい。そうやって少しずつ、バニーの朝が変わっていけばいいと思う。
手にしたフライ返しで焼き目を確認すれば、いい感じで焼き目が付いている。柔らかい
食パンの下にフライ返しを差し込み、左手で食パンを支え、勢いでひっくり返した。
ばたん
じゅっといい音が再びフライパンから奏でられる。薄い黄色に付いた焼き目が食欲を
そそる。溶けだしたチーズが熱したフライパンに触れ、香ばしい香りが鼻先をくすぐった。
おし、いい感じに焼けてる。フライ返しを置いて、もう一組も卵液に浸し、水に浸していた
レタスを取り出して水気を切り、皿に乗せる。そういえば冷蔵庫にピクルスがあったはずだ。
それも添えよう。
二つ並んだ皿が、後はメインを待つだけになった。
ジクジクと音が焼き上がりを伝えてくる。置いていたフライ返しで確認すれば、裏面も
しっかり焼き色が付き始めていた。あともう少しだ。卵液に浸していた食パンも
裏返して、次の焼きに備える。
焼きあがったクロックムッシュを皿に載せ、もう一組のクロックムッシュを焼き始めた
ときに上から足音が聞こえてきた。確認しなくてもわかる、バニーだ。
今朝の気分はどうだろう。
あえてこちらから声を掛けることはせず、向こうの様子を伺うことにした。
足音は止むことはなく、徐々に大きくなってこちらに近づいてくる。それを特に
気にする素振りも見せず、視線はフライパンの上のクロックムッシュ。
足音が真後ろにきて、そして止まった。
ぽすん
後ろからぎゅっと抱きしめられ、項に顔を埋められる。さて、今日のご機嫌は?
グリグリと肩に鼻先を擦り付けられる。これはどうやら・・・
「何で・・・僕より先に起きてるんですか・・・」
小さく少し低く呟かれた声。どうやら今日はイジケてるようだ。
「それより先に朝の挨拶だろ?おはようバニー」
「・・・おはようございます虎徹さん・・・」
「で、何だって?」
「・・・」
ご機嫌斜めなバニーちゃんは答えることなく、肩をはぐはぐと甘噛みするだけ。
こりゃ相当イジケてるな。で、何だっけ?何で俺が先に起きたかって?
「おじさん年だから朝早いの。ついでに昨日激しい運動したからお腹空いて目が覚めたんだよ」
朝飯、クロックムッシュでいいか?と聞けば、こくんと頷くのが分かった。視線は
クロックムッシュに注いだまま。何度か焦げてないかフライ返しで焼き目をチェックする。
朝の静かなキッチンに、クロックムッシュが焼ける香ばしい音だけが響く。
やがて、バニーがぽつりぽつりと吐露し始めた。
「・・・こんなはずじゃなかったんですよ・・・」
「ん?」
「・・・僕が先に起きてるはずだったんです・・・」
「うん」
「僕が先に起きて、おじさんの寝顔見て・・・それでキスで起こす予定だったんです・・・」
「うん」
「でも、毎回おじさんが先に起きてるんですよ・・・」
「ごめんな」
腹にまわされた手に自分の手を重ねて、ポンポンとあやしてやる。一層力強く抱き
しめられるが、気にすることなくクロックムッシュをひっくり返す。
ぽすん ジュッ
よし、今度もいい焼き色に仕上がった。
「焼きたて、お前にやるから。機嫌直せよ」
だが、バニーの返事がない。あらら、相当ご機嫌が悪いらしい。
「初めての朝は、目を覚ましたら虎徹さんの顔が目の前にあって、びっくりして
パニックになったんです・・・」
「そか、ごめんな」
「・・・二度目は、目覚めたら隣にいなくて・・・置いていかれたのかと思って・・・
慌てて探したんです・・・」
「うん、ごめん。で、今日は?」
一瞬沈黙に包まれる。
「いい匂いがしてきました」
「で?」
「また失敗したんだ・・・って・・・」
あぁ、だから今日はこんなにイジケてるのか。納得すると、そんな小さなことで
悩んでいるバニーが可愛く思えてきた。そうだ、こいつはこんなに可愛いんだ。
俺のとっての日常や当たり前のことが、こいつには初めてだったり新鮮だったりで、
一つ一つのことに戸惑ってるんだろう。全てにおいてクールでスマートに、を信条に
してるから、こんな風に思い通りにいかないと人一倍落ち込んだり悲しんだり、
時にはパニックを起こしたりするんだ。
セックスにしろ、翌日の朝にしろ、一向に思うようにいかなくて、望み通りに出来る
までこうやってイジケてるんだろう。数ヶ月前のバニーだったらきっとこんな風に
ならない。ヘマしようが失敗しようが、対俺用の無表情で全て隠してしまっていただろう。
それに比べて今は素直に感情をぶつけてくれる。それが時として拒絶だったり、パニック
だったり、今みたいに拗ねてしまってもいい。自分に対して正直に感情をぶつけてくれる、
バニーにとってそれが出来る人物は数少ないだろう。そう思うと嬉しくなってきた。
本当可愛い奴だ。
「じゃあさ・・・次は先に起きてもちゃんと寝たフリしてやるからさ・・・」
フライ返しで最後の焼き加減のチェック。お、いい感じいい感じ。
「まずはおはようのキスといこうか?」
フライ返しをさっと食パンの下にスライドさせ、綺麗に焼きあがったクロックムッシュを
皿に載せる。
「なぁ、バーナビー?」
朝食の完成と共に振り返って笑ってやれば、ふてくされた表情のバーナビーの頬が少し
赤くなった。
バターと溶けたチーズの香ばしい香りがするキッチンで、三度目にしてやっと初めての
おはようのキスをバニーから貰った。
2011.08.08 しゅう
やっぱり童貞バニーがs(ry
何故かクロックムッシュが食べたくなったので