We'll fall down
いつから好きだったか
思い出そうとしても思い出せるもんじゃない。そもそもいつから好きだったのかも不明瞭なもんだ。だってそれが恋ってもんだろう。
もともと構いたがりな性格で、一回りも年下の同僚はつっけんどんな性格だったから尚のこと余計に構いたくなって、気付けばいつも目で追っていて、何かにつけて口を挟んで。
でもいつからだろう。一方通行だったコミュニケーションがちゃんとキャッチボールになって、会話の量も増えていったし長く続くようになった頃からだろうか。
目が合って、何気なく微笑んでくれるその表情が嬉しかった。おじさん呼びが名前に変わって、さらにその声が少しずつ柔らかいものに変わっていって。
何気ない変化でも、一年前の俺達からしてみれば大きな変化で、日々近くなっていく関係にただただ心が躍ったんだ。
それだけならよかった。
それだけなら俺達は仲のいいバディで済むはずだった。
だが、ある日ふと自分の中のある感情に気付いてしまう。それは数日前行われたスポンサー会社の新商品発表会、イメージキャラクターである若手の女優とゲストの俺達が呼ばれてトークショーが行われた。女優さんの隣に並ぶ同僚、二人並んで立つ姿は見目麗しく、会話が弾んで二人一緒に笑う姿は微笑ましい。多分、今のこの二人を見たら付き合ってるんじゃないか、もしそうだとしたらお似合いの二人だ、そんな風に感じる雰囲気だった。
ショーが終わり、控え室に俺と相棒二人で戻る。部屋に待機していた上司のロイズさんと次のスケジュールを確認しつつ衣装を脱いでいつもの仕事着に着替える。
いつもなら、数ヶ月前の自分なら『あの女優さん絶対お前に気があるから付き合っちまえば?』なんて軽口を叩けたのに、その日だけは何も言えなくなってしまった。
胃の中がずっとムカムカして、気分が悪くて、口を開けば軽口どころか嫌みしか言えなくなってしまう自分がいて、怖くて何も言えなくなってしまった。
それを不思議に思ったのかバニーもどこかこちらを伺う様子で自分から話しかけることも無く、ただロイズさんの声だけが楽屋に響いた。さすがにロイズさんも俺達の異変に気付いて何かあったのか声を掛けてきたけど、バニーは何が起きたのか分からず、当の俺はそのあやふやな俺の気持ちを口にすることは出来ず、結局二人曖昧に誤魔化して終わった。
でもこのまま気まずい雰囲気が続くのはよくないと思って、なんとかバニーの方を見ようと思った。思ったんだけど、そのバニーの澄んだアップルグリーンの瞳に見つめられると、自分の中の醜い感情を見透かされるような気がして、やっぱり目を反らしてしまった。その後もギクシャクした雰囲気のまま何とかスケジュールをこなし、逃げるように会社を後にした。
そうして一人、夜の帰路を歩きながら冷静になった頭で考える。何が起きたのか、どうしてバニーを避けてしまったのか、この胸のムカつきはなんなのか。
少し冷たい夜風が静かなパニックを起こした頭を冷やしてくれる中、一つ一つ、頭の中の情報を整理していく。
俺はバニーのこと好いていて、幸せになってほしいと思ってる。あいつと会話が続くと楽しいし、一緒に笑ってくれると嬉しい。バディとしてずっと一緒にヒーローやれたらいいと思ってるし、あいつがもし結婚して子供が出来たら、抱っこさせて欲しいし、先輩パパとして相談のってやるついでに飲みにいけたらいいなって思ってる。
そこまで考えて、また自分の中にもやっとした感情が芽生える。
バニーが…結婚したら…
そう、さっきの女優さんみたいな美人さんと結婚したらきっと生まれてくる子供は天使みたいに可愛いんだろうな。さっきの女優さんとバニーが二人並んで赤ん坊を抱っこしてる姿を想像して、今度こそ胃がせり上がってくる感覚がした。
俺…バニーの幸せ願ってるだけなのに…
なのにどうしてこんなにも苦しいんだろう。俺とバニー、一緒にヒーローとして活躍して、その隣で笑っていられるだけで十分なのに。それだけで、俺は幸せなのに。
そう思っているはずなのに、心のどこかでそれだけじゃ駄目だ、たりないんだと訴える自分がいる。
どうして、何故、こんなにもバニーの幸せを願っているのに…
そうして一つ一つのクエスチョンの答えを見つけていくうちに、一つの答えにぶつかった。
俺、バニーのこと、好きなんだ
likeではなくloveで。
一回りも年下で、同性で、同僚で、オマケに初対面のイメージが最悪で今までずっと顔を合わせれば口論ばかりしていた自分達だったから、そんなことあり得ないと思っていた。だが、冷静に考えてみれば、バニーのことを必要以上に目で追っかけたり、会話が続いて嬉しかったり、恥ずかしくてバニーと目を合わせられなかったり、バニーが誰かと楽しそうに話していたら嫌な気分になったり…。どう考えてもこの感情を動かしているのは恋しか考えられない。それ以外のものがあったら教えて欲しいもんだ。
こんな感情一つで振り回されるのは学生時代との恋ぐらいなもんで、それも共に年月を重ね、子供を授かったことでゆっくりと落ち着いたものに変わり、亡くした今でも穏やかに心の中心にある感情だから、こんな拙くて面倒ででもきらきらした感情は本当に久しぶりでただただ戸惑うことしかできない。
だが、これは誰にも言えない気持ちだ。
分かっている。相手は同僚で、一回りも年下で、同性で、うちのCEOの秘蔵っこで、KOH目前のヒーローで、俺はその引き立て役にしか過ぎない人間だから。俺はあいつに恋をしていい身分の人間じゃない。
これがもしバレてしまって上司の耳にでも入ろうことなら俺は即クビになるだろう。俺の中でバニーに恋することとヒーローを続けること、天秤に掛ければ間違いなく後者の方を選ぶ。だが、前者の恋という感情を消し去るのは容易い事じゃない。それは重々知っている。だから、消すことはできなくてもいいから、この感情は誰にも言えない、言っちゃいけない。
視線の先に、見慣れた自宅の玄関の扉。思ったよりもだらだらと考え事しながら歩いていたせいか時間がかかってしまった。だけど、家に入る前に答えがみつかってよかった。
この扉を開けたら、気持ちを固めよう。
俺はバニーのことが好きで、でもこれは一生誰にも伝えることなく墓場まで持っていく。そして、バニーには決してバレないようにしなくては。
ごめんな、バニー。おじさん、お前のこと好きになっちゃって。
伝えられない謝罪を心の中で呟いて、玄関の扉のドアノブをぐっと握りしめた。
だが、人間そんな簡単に感情をコントロール出来るわけもなく俺は日々育っていく感情に振り回されっぱなしだ。隣に並んで一緒に笑えればそれで十分だ、と自分を思い込ませても、心の奥底で欲求は日々募っていく。
書類をバインダーに納める指先の動きが滑らかで、その陶器のように白く美しい手に触れてみたいとか、リップクリームを塗る唇が柔らかそうでキスしてみたいとか、Tシャツやインナースーツ姿になって改めてその均等の取れた鋼のような筋肉をまとった姿を見て、抱きしめたいと思ったし抱きしめられたいなんて思ったりした。ただ、それはあくまで自分の中の欲求で表に出してはいけないものだから慌てて視線を反らせたり、別の話題を振って気を紛らわせたりしてなんとかやり過ごすことが出来た。
だが、それが上手くいかないときがある。
普段はハンサムで、でも時折仕草が可愛いバニーちゃんだが、時折酷く雄くさいときがある。
それは危険を伴った出動後や限界までトレーニングしたあとなど、闘争本能剥き出しになったりストイックに自分を追いつめた時に雄のフェロモンが全開になることが多い。
最初はそんな女じゃあるまいし、感化されることもない…なんて悠長なことを考えてたんだが、十数年も忘れていた恋心とやらにどうやら体も刺激されちまった様で、その隣の若い雄のフェロモンに影響されるように体が熱っぽくなることが多くなった。
出動後のトランスポーターでインナー姿だったり、トレーニング中の滴る汗を気にもせず一心不乱にトレーニングに励む姿だったり、普段メディア向けのキラッキラした笑顔ではなく、俺と一緒の時のふわっと花が咲いたようなちょっと子供っぽい笑顔でもなく、ヒーローとしてどこまでも自分に厳しく追いつめるバニーの表情。そのギャップが生み出す色気とその表情を知っているのは極僅かの人間だけだという優越感で、俺の感情はまた高ぶってしまう。
そうしてそれを糧に俺の感情はどんどん成長し、やがてそのフェロモンに誘われるように只の純粋な恋に性欲までもが芽生え始めてしまった。