そんなに遠くない未来のお話










あっつい

溺れる夢を見て目覚めたらびっしょりと汗をかいていた。足下で首を振る扇風機が時折カラカラ
と変な音を立てながら生温い風を送っている。思ってたより深く眠っていたらしい。右手を挙げ
ようとして、ベリベリと音が鳴った。右腕を見れば畳の痕がみっちりとついてしまっている。
起きあがろうとするが、暑さで身体が動かない。諦めるように右手を下ろした。





虎徹さんと出会って六年目。三年目を迎える直前に虎徹さんはヒーローを辞めた。原因を本人から
直接聞いたわけではないが、どうやら能力が減退し、消滅する前に自分から引退を決意したらしい。
しつこくお節介をしてきた虎徹さんがいなくなる。最後までそのことがぼんやりとしか受け止め
られなかったが、いざいなくなったときにそれがどれほど自分にとって衝撃的なことだったのか
後になってやっと分かった。街を去り、故郷に戻った虎徹さん。頭では分かっていたのに街で
似たような背格好の人を見かけると、つい虎徹さんなんじゃないかって追いかけてしまったことも
ある。そんなベタベタなことする事ないと思ってたのに、性懲りもなく何度も繰り返し、その度に
後悔した。

『あの・・・休暇を貰ったので・・・会いに行ってもいいですか?』

十一桁の番号を押さなくてもアドレス帳から一度通話ボタンを押せばすぐに繋がるのに、声を
聞いたら現実と寂しさに耐えきれなくなりそうで、なかなか電話できなかった。久々に聞く
電話越しの声は、低く落ち着いてささくれた心を癒してくれる。

『あぁ、おいで。楓もきっと喜ぶから』

楓ちゃんじゃなくて、あなたは喜んでくれますか?
聞きたいけど聞けなかった。聞いてしまえば色んなことが溢れてしまいそうになったから。
分かりました、じゃあお世話になります、と言って電話をきる。携帯を当てていた左耳がずっと
熱を持って、泣きそうになった。





文字通り休暇の日を指折り数えた日々があっと言う間に過ぎ、久々に虎徹さんに会う緊張と高揚感
から前日は眠れなかった。睡眠不足と暑さで若干フラつきながら駅に降りれば、虎徹さんが車で
迎えに来ていた。

「よぉ、顔色悪いぞ。ちゃんと寝てんのか?」

挨拶より先にそんなことを言われて、懐かしさに息が詰まりそうだった。平気ですよ、と返して
車に乗り込むと、おじさんがじっとこちらを見つめる。こっち見ないでくださいよ!と強めに
言えば、柔らかく笑って指先で頬を撫でられた。一瞬で数年前の、いつも一緒にいた日々を
思い出して、泣きそうになるのを誤魔化したくてその手を払い除ける。どうしようもない。本当
どうしようもない。

楓、今日スケートの練習だから。夕方のお祭りまでには帰ってくるし。あと、俺ちょっと祭りの
準備にかり出されるから、それまで寝てろよ。
気にしないで下さい。押し掛けたのは僕なんですから。
前を見たまま、淡々と交わす会話。それでもよかった。久しぶりだから上手く会話できるかどうか
心配だったから、他愛のないことでも話せて嬉しい。そんな風に思っていたらあっと言う間に自宅に
着いた。今までは虎徹さんのお母さんの家で楓ちゃんを預かっていたが、帰郷した虎徹さんは
別の親族から譲って貰った家で二人で暮らしているらしい。二人で暮らすの、夢だったんだ。
嬉しそうに語る虎徹さんの声を思い出す。たどり着いた虎徹さんの家は和風の、大分古い形式の
家だった。一応二階の各個人の自室はフローリングだが、一階はすべて畳み。
古いけど、縁側がいい感じなんだよな。
通された客間は庭に面していて、ガラス戸を開けると爽やかな風が頬を撫でる。縁側は日差しが
差し込んでて暑そうだが、客間は涼しい。荷物を置くと虎徹さんが扇風機とい草の枕を持ってきた。

「俺ちょっと出かけてくるし、その間しばらく昼寝してろよ。ここ涼しいしさ」

あと、それ暑いだろ、と言って甚平を渡された。いえ、着替えはあるんで、と断ったが、見てる
こっちが暑苦しくなるんだよ、と言われたので大人しくその甚平を受け取る。Tシャツを脱ぎ、
甚平を羽織った。確かにこのゆったりとした衣類は風通しがよくて涼しく感じる。下も着替えて
いると、虎徹さんが時計を確認した。
じゃあ、行ってくるから。そう言って部屋を出ていく。
あんなにも色々と考えて一人で舞い上がっていたのに、あっと言う間に過ぎていった出来事に
言われたとおりに畳に横になることしかできなかった。





目覚めたけれど、暑さでぼーっとしてしまう。夕方になったら楓ちゃんが帰ってくる。それで
三人でお祭りに行くんだろう。帰ってきて、楓ちゃんが眠ったら二人でお酒を飲むんだろうか。
おじさんは自室に戻って、僕はこの客間で眠るのだろうか。
会えただけでいい。
そう思っていたけど、未だちゃんと虎徹さんに触れられなくて、心のどこかで焦っている自分が
いる。

「お、ちゃんと寝てたか?」

襖をあけて虎徹さんがやってきた。帰ってきてたのか。庭を見れば、空が茜色に染まっている。
もうそんな時間か。

「桃食うか?」
「桃?」
「そ、桃。近所のおばちゃんがくれたんだよ」

虎徹さんの手には桃が乗ったガラスの器。もう食べること前提じゃないですか、と笑ってしまう。

「じゃあ食べるんなら起きろ」
「暑くて起きられません。食べさせて下さい」
「お行儀が悪いぞ」
「いいじゃないですか、二人きりなんだし」
「・・・そうだな」

虎徹さんが僕の肩のあたりに座り込む。ほらよ、と言ってフォークに刺さった桃を差し出された。
口を開ければ、そっと口元に運ばれ、それをゆっくりと噛みしめる。

「!?」

じゅっ、と溢れ出す甘い果汁。甘く熟れた桃は思った以上に冷たくて溢れる果汁を慌てて飲み込む
もののいくらかこぼれて顎に伝った。

「ほーれみろー、寝転がって食うからだ」

口の中はまだ果肉と果汁で満たされていて反論するにもできない。そんな自分をみて、笑いながら
虎徹さんが身を屈めた。

ベロリ

「甘じょっぱい」

果汁が伝う顎から唇まで熱い舌に舐められる。桃の甘さと、先ほどかいた寝汗のしょっぱさ。
それを指摘され、急に恥ずかしくなってしまった。
今度はこっちが虎徹さんの胸ぐらを掴んで噛みつくようにキスをする。桃で甘ったるい舌で彼の
咥内をまさぐれば、同様に彼の熱い舌が桃で冷えた咥内を熱くしてくれた。離れていた間の寂しさ
とか悲しさとか愛おしさとか、言葉にできなかった代わりにすべてキスに代える。触れる温度が
言えなかったことを伝えてくれる気がした。

「あ、うん、ちゃんと甘いんだな、桃」

濃厚なキスの後、ワザとかと思うくらいの空気を読まない発言。でもそれが照れ隠しだと分かって
いるから。

「セックス、しません?」
「ダーメ。もうすぐ楓が帰ってきますー」
「もう我慢できません。一回位ならできますよ」
「ダメったらダメ。この後祭り行くんだからな」
「じゃあ煽るようなことしないで下さいよ」
「別に煽るようなことしてないだろー。お行儀の悪いバーナビーが悪いんです」
「行儀悪いからこんな時にセックスしたくなるんですよ」
「今晩、酒控えろよ」
「何故?」
「今晩俺、ここで寝るからな」

そう言ってイタズラっぽく笑う虎徹さんは出会った頃と全然変わっていない。その笑顔が懐かしくて
小さくキスをする。

「布団一枚で足ります?」
「お前蹴っとばしてでも俺布団で寝るから」
「僕客人なんですけど?」
「押し掛けてきたくせに偉そうにいうなよ」

こんな他愛もないやり取りすら懐かしくて愛おしくて胸がぎゅっとなって、どうしていいのか
分からずに二人どちらからとなくキスを交わす。

「おとーさーん!バーナビーさんはー?」
「こら楓!まずはただいまだろー?」

玄関から聞こえる声に、もう一度小さく笑ってキスをした。

玄関に向かう虎徹さんの背を見送りながら、残った桃に手を伸ばす。






























2011.07.17 しゅう