「無かったことにしよう、って思ったこと、なかったか?」

雰囲気に流されたわけでもなく勢いでもなく、真っ直ぐな瞳に受け止めてやりたいという
感情が少しずつ、だが胸を満たす程に沸き上がり、その熱い手の握り返した。
同じ男として尊敬する程に自分の欲望を抑え、初めての経験で俺の身体が傷つかないように
少しでも痛みを軽減させるために念入りに解してくれた。
それでも身を裂く痛みと衝撃に幾度か気を失いそうになったものの、バニーの熱を受け止め
自分も熱を解放することができた。
身体が一連の出来事を痛みと熱で伝えるが、思考はまるで繭に包まれたようにぼんやりと
緩やかに処理をしていく。
受け入れるだけ、だと思っていたのに想像以上に激しく体力を消耗し、起きあがることも
できず、横になったまま呼吸を整える。その呼吸に合わせるように、バニーがそっと背中から
抱きしめてきた。

「どうしてそんなこと聞くんですか」
「なんとなく、かな」

気持ちを受け止めて、合理の上でのセックスの後に、相手に「無かったことにしようと
思わなかったのか?」と聞くことがどれだけ失礼なのか分かってる。分かってるけれど
聞かずにはいられなかった。

人一人を好きになった。

それが、同性か異性かでこんなにも悩むなんて思ったこともなかった。
しかも俺は子持ちで、相手は一回りも下だ。もし自分が逆の立場だったら・・・今の自分
だったら諦めるだろう。
だが、もしバニーと同じ年頃だったら・・・。
10年以上前の若造の頃だったらどうしていただろうと考えて、止めてしまった。
多分、同じように行動してたかもしれないからだ。
だから、聞いてみたかった。
今、このパートナーは後悔していないのか、と。
男女だったら自然の摂理で容易に行えるはずの性行為が、同性になった途端、こんなにも
難しくて危険と痛みを伴う行為になるのに、それでも心のままに本能のままにこの行為を
続けていく自信があるのかと。

「おじさんは無かったことにしたいんですか?」
「質問を質問で返すなよ。まずはお前が答えろ」

しばらくバニーは沈黙すると、ゆっくりと丁寧に自分の感情を言葉にしていく。

「あるものを・・・なかったことにしたくはなかったんです」

「芽生えてしまった感情を消すのは・・・確かに、傷つかずに済む方法だと思います」

「でも、存在してしまったからには意味がある。理由がある。
この感情を受け入れれば、間違いなく傷ついたり傷つけたりするのは分かってるけど・・・
それでも何かが、手にはいると思ったんです」

「この感情を無かったことにしたら、僕はもう、何も手に入れられないような気が
したんです。だから、無かったことにしようと思ったことなんてありません」

言い終わると同時にぎゅっと強く抱きしめられた。背後から抱きしめられているから
表情は分からない。だが、震える手が、無性に抱き返したくなってきた。

「おじさんは・・・」
「ん?」
「おじさんは、無かったことに、したいんですか?」

声まで震えている。こんなに弱々しいバニーは見たことがなかった。
多分、俺以上に悩み、苦しんで、怯えているのだろう。
失うことに。捨てられることに。

分かってる。
置いていかれることがどれだけ寂しいことかを。

バニーの告白を、熱を受け止めようと決めたときに、同時にこいつが傷つくくらいなら
俺が傷つけばいい、守ってやろうと決めた。
十数年長く生きてきた俺の方が、痛みになれている。だからこいつに降りそそるリスクは
全部俺が受け止めてやろうと。
傷つくのは俺一人で十分だ。まだ若い、未来ある青年が傷つく必要はない。

「俺は・・・お前が後悔していないなら、俺も後悔しないつもりだ」

寝返りをうち、バニーを正面から捉え、抱きしめ直す。
何か言おうと唇が震えたが、言葉になることはなく、ぎゅっと塞がれてしまった。

「飽きたり面倒くさくなったらさっさと言えよ。おじさん老後の期待しちゃうから」
「ご心配なく。老人ホームくらいは手配しておきますよ」

ふざけて笑ったつもりだが、上手く笑えなかった。バニーも同様に小さく笑ったが
声になることはなかった。

痛みに耐性のない若造と、痛みに鈍感な中年。
無かったことにできなかった恋を抱え、俺たちはどこへ向かうんだろう。











2011.06.14 しゅう